「わたし、優希の性別違和について」
わたしは両親のもとに長男として生まれ物心ついた頃は弟と妹がいたため、
お兄ちゃんとして当たり前に幼少期を過ごしました。
でも、母の真似をして編み物をしたり、家庭科で裁縫を習うと、
楽しくてランドセルの代わりに自分用のナップサックを縫って作ったり、
お料理の授業が好きなすこし変わった男の子でした。
男として生まれ、男だと思って生きてきました。
でも、望むことはどこか違う。
だれだって男や女の区別なく、好き好み、趣味、感覚、個人差があります。
ピンクが好きな男性もいるし、濃い青や黒が好きな女性もいる。
でも、どこかで見えない境界があり、多くの人は自分が居る場所に違和感を感じず生きられる。
でも、その見えない境界の向こう側にいるはずなのに、生まれた時に決められたこの場所に今いる。
そんな違和感がわたしにはあります。
悩みの元は「性別違和」でした。
以前は「性同一性障害」とも言いました。
一度は耳にされたこともあるかもしれません。
でも具体的に知っている人も少ないとかもしれません。
わたしは女性の心を持って生まれたのに、
男性の身体で生まれてしまい、
長い間、男性として生きてきました。
優しく生きたい。
綺麗に生きたい。
綺麗な世界を作りたい。
いろんな感情や想いがいつも女性的でした。
検査や数値で測ることができない心のバランス。
自分で違和感を感じながらも明確な答えがない。
もし、思春期に男性に対して興味を持っていたなら少しは気づけたかもしれない。
でも全く男性には興味がない。
ずっと悩む日々でしたが、ようやくハッキリと自認しました。
女性に戻ろう。
そう思い、2019年春,治療をはじめました。
そして同年8月14日、母にすべてを打ち明けました。
いわゆるカミングアウトです。
もしかしたら理解されずに拒絶されるかもしれない。
絶縁されるかもしれない。
そんな恐怖をいだきながら、ゆっくり時間をかけて話しました。
いまの気持ち、そして順々に時間を遡り、いろんな過去がジグソーパズルのピースを埋めるように集まり
わたしが元々女性であったという心の姿があらわれました。
母は「長いこと遠回りさせたなあ。我慢させてしまったなあ」とすべてを理解してくれ
「たのもしい娘ができたわあ」と明るく喜んでくれました。
なぜ、こんなプライベートなことを公表するの?と思われる方もあるかもしれません。
今までカミングアウトした方たちの多くは「何も変わらないよ。性別が男であろうが女であろうが、
容姿が今までと変わろうが。人柄を信じてお付き合いしています」とおっしゃってくださったりします。
「あえて公表する必要って無いんじゃない?」っておっしゃってくださったりもします。
でも、あえて表に出よう!と決意しました。
世の中にはわたしのような悩みを持っている人たちがたくさん居るんです。
家族や友人から孤立してしまう人
男子校に通わされ、そんな中でカミングアウトもできず苦しんでいる人
そんな生きづらさを感じながら日々悩み苦しんでいるたくさんの人がいます。
少しでもそういった悩みが薄れるようになるために何かできないか?
そんなことを考えるようになり、わたしなりにいろんなことを発信していければ何か変わるかもしれない。
いや、何かを変えたい。
そう思って公表しました。
これからの仕事に対してはもちろん変わることなく、でも視野が広がったと思い、
より良い唐紙を作っていければと思っています。
母が言ってくれました。
「あんたは男性の美意識と女性の美意識、その両方を感じる事ができる人。
だからどんどん美しい唐紙の世界を広げなさい。」
この母の言葉を大切に自分と唐紙、いろんな美意識を伝えていきたいと思っています。